| 辨 | ワラビ属 Pteridium(蕨 jué 屬)には、1種乃至数種がある。 
 P. aquilinum(歐洲蕨)
 ワラビ var. latiusculum(蕨・蕨菜・如意菜・狼萁)
 P. revolutum(龍爪菜・毛蕨・飯蕨・蕨菜・鋸菜)
 
 
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      | コバノイシカグマ科 Dennstaedtiaceae(碗蕨 wănjué 科)については、コバノイシカグマ科を見よ。 | 
    
            | 訓 | 『本草和名』蕨菜に、また『倭名類聚抄』薇蕨に、「和名和良比」と。 『大和本草』に、蕨{ワラヒ}と。
 小野蘭山『本草綱目啓蒙』蕨に、「ヤマネグサ古歌 ホドロ同上 ワラビ シドケ土州 ヨメノサイ勢州」と。
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            | 「和名わらびハから(莖)め(芽)ノ轉呼ニシテわらハから(莖)ニ通ズルヲ以テ此草ノ狀ニ由テ名ケシ者ナラント松岡靜雄氏謂ヘリ」(『牧野日本植物圖鑑』)。 「ワラビは松岡静雄氏の説によれば,ワラはから(茎)に通ずるのでから(茎)め(芽)から転じたものであるという.しかしワラビのビはアケビのビと同じく食用になる実質のある物体としてのミ(実)の転化とする説のほうが妥当と思われる」(『改訂増補 牧野新日本植物圖鑑』)。
 「若芽は山草の王者といわれ,ワラビの名がシダ植物の総称として使われることもある。語源については,茎(から)と芽(め)を合わせたからめに由来するという説もある(『日本の野生植物 シダ』)。
 幾つかある語源説については『日本国語大辞典 第二版』を参照のこと。なお、松岡静雄(1878- 1936)は、柳田国男の弟、海軍大佐・民俗学者。
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      | 説 | 種は、広く全世界に分布。var. latiusculum は、北アメリカ・ヨーロッパ・東アジアに分布。 その地下茎に含まれる澱粉は食用に供される。
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      | 「火入れの行われるススキ草地で、火に強いハギが増える例や、放牧地で家畜の食わないワラビが増えてワラビ型草地になる例などもある。これらは一種の偏向遷移である。ただし、ワラビ型といわれても、測定すると優先種はススキやシバであって、ワラビは二位以下のことが多い。」(沼田・岩瀬『図説 日本の植生』1975) | 
    
            | 誌 | 中国では、根茎の澱粉を蕨粉(ケツフン,juéfĕn)と称して食用にし、また先秦時代には野菜として食われた。いまはもっぱら日本に輸出していると言う。 | 
    
      | 「伯夷、叔斉がワラビを食べて餓死した話は、以前漢文を習った人ならばみな知っているだろう。日本人はワラビの芽も、根から澱粉をとって食べることも知っている。昭和初年の東北のコメ不作のときにはワラビを掘った話が新聞に出ている。ところが西洋ではワラビは救荒食のリストの中にない。ワラビはその近縁種をふくめると、ほとんど全世界的に野生しているが、その根から澱粉をとるのは、紅島嶼、シナ、日本だけである。しかし、芽を食べる習慣はもうすこしひろくみられ、ヒマラヤの中腹、ネパールの民族から、マレー半島のつけねの山地民、南方の島々にすこし、それからシナ、日本、朝鮮などで盛んである。世界中にあるワラビの芽も、このかぎられた地域で賞味されるだけである。セイヨウではワラビの根にあたる救荒植物はスギナ類で、これにつく小型のイモは掘って食べられた記録があるが、これは東洋ではまったく問題にしていない。救荒植物は、なんでもできるかぎり利用するというわけではなく、それぞれの地域の文化複合の一つとしてそれが定まっているものである。」(中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』) ただし、伯夷叔斉がそれしか食わず餓死したという「薇」が何であるかについては、古来議論がある。「伯夷叔斉列伝」を見よ。
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      | 『詩経』国風・召南・草虫に、「彼の南山に陟(のぼ)り、言(ここ)に其の蕨(わらび)を采(と)る」と。 | 
          
            | 日本では、「嫩葉を採って食用とし、根茎からは澱粉を造ってワラビ粉という。・・・ワラビ粉は、練って蒸すとクズモチのようになりワラビ餅と称され、あべ川などにしてクズとは異なった風味がある」(本山荻舟『飲食事典』)。ただし、今日の蕨餅は、多くはジャガイモの澱粉から作るという。 | 
          
      | 『万葉集』に、 
 石激(いわばし)る 垂水(たるみ)の上の さわらびの
 も(萌)え出づる春に なりにけるかも (8/1418,志貴皇子「懽(よろこび)の御歌」)
 
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      | 『古今和歌集』10物名「わらび」に、 
 煙たち もゆともみえぬ 草のはを たれかわらびと なづけそめけん (真静法師)
 
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      | 西行(1118-1190)『山家集』に、 
 なほざりに やきす(捨)てしの(野)の さわらびは お(折)る人なくて ほどろとやなる
 
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      | 「蕨は生にては性あしく味もよからず。塩づけよし。ほしたるは出羽の秋田より出づる物、柔にして味よし。ぜんまいも食様は右に同じ」宮崎安貞『農業全書』(1697)。 | 
    
      | 狗脊(ぜんまい)の塵にゑ(択)らるゝわらひかな (嵐雪,『猿蓑』,1691)
 
 折もてるわらび凋れてくれ遅し (蕪村,1716-1783)
 わらび野やいざ物焚ん枯つゝじ (同)
 
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      | おのづから六十三になりたるは蕨うらがれむとするさまに似む
 (1944,齋藤茂吉『小園』)
 
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      | 諺に「五月わらびは嫁に食わすな」とは、わらびのおいしさの形容、と(平野雅章『食物ことわざ事典』1978)。 |